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SPECIAL特集

横浜発おもしろい画家 中島清之─日本画の迷宮

横浜美術館

 

100年前の横浜から出発した日本画家

《喝采》 1973(昭和48)年、紙本着色・額 横浜美術館蔵(中島清之氏寄贈)
今からちょうど100年前の1915年、画家を目指すひとりの青年が、故郷の京都から叔父を頼って横浜に移り住みました。片岡球子の師、あるいは中島千波の父としてその名を知る人も多いであろう、中島清之が16歳の時の出来事です。会社勤めをしながら画塾に通い、25歳で院展に初入選した清之は、やがて院展の中核として活躍。戦時中に長野に疎開した3年間以外、晩年に至るまで横浜を拠点に活動し、横浜美術館が開館した1989年にその生涯を閉じました。

なんともキャッチーな展覧会タイトルの、まずは“横浜発”パートをひも解くと以上の通り。開設準備中に清之本人からの寄贈も受けて収集を開始し、その逝去から4か月後となった開館時には追悼展示を行った同館で、「いずれ回顧すべきと思ってきた画家。その期が熟した」(内山淳子学芸員)として開催されているのが本展です。では、“おもしろい”“迷宮”という、キャッチーさの核を担う残りのパートには、一体どのような意味が込められているのでしょうか。

止まらない変転と幅広いモチーフ

《方広会の夜》 1950(昭和25)年、紙本着色・二曲屏風一隻、横浜美術館蔵(山口久像氏寄贈)
“おもしろさ”の最大のポイントとして挙げられるのはやはり、「変転の画家」と評された、その多彩な画風です。寸暇を惜しんでスケッチを重ねて写実的な描写力を獲得したのち、自らの感性を生かした装飾的な画面作りを展開するようになった青年期。戦争によって価値観が急速に変化する社会のなかで、新しい芸術を模索し続けた壮年期。その末に辿り着いた、清之51歳の時の《方広会の夜》は、日本美術院賞・白寿賞を受賞するなど高い評価を受けています。

しかし、高い評価を得てもなお、清之の変転は止まりません。国内外の動向を敏感に察知して新しい手法を次々と試み、とても同じ画家によるものとは思えないほど多様な作品を描き続けました。振り幅の広さは手法に限らず、モチーフもまた、《雷神》のような古典的主題から現代風俗まで多岐に渡ります。74歳の時の《喝采》は、同名曲を熱唱するちあきなおみを描いたもの。流行歌手を日本画のモチーフにしたことは、当時の批評家たちを大いに驚かせました。

“おもしろい”画家にいざなわれて“迷宮”へ

《梅図(三溪園臨春閣襖絵)》1977(昭和52)年、紙本着色・9面、三溪園蔵 展示期間:12月4日~1月11日
あまりの奔放さに、「焦点が定まらない」として厳しく批評されることもあったという清之。その多彩すぎる作品群をじっくり眺めていると、“おもしろい”画家であることが実感できると同時に、一体この人はどこを目指していたのだろうとの疑問もわいてきます。観る者を戸惑わせるその魅力こそ、中島清之の“迷宮”。この迷宮に出口があるのかどうかは分かりませんが、向き合い甲斐のある作家であることは、少なくとも間違いなさそうです。

80歳を目前にしても創作意欲が衰えることのなかった清之は、78歳にして横浜の名勝、三溪園臨春閣の襖絵の制作に着手します。依頼を受けた全11室のうち、病に伏すまでに第5室までを完成させました。各室ごとに全く異なるモチーフと構成は、まさに70年間の画業の集大成と呼ぶにふさわしいもの。本展では、そのうち第1室から第4室までが前後期に分かれて展示されます。2室の襖絵が並ぶ圧巻の光景を、ぜひ生で味わってみてください。

文/町田麻子


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